社会人野球や五輪日本代表のエースとして活躍し、現在は日本生命保険相互会社の首都圏法人営業第四部法人部長を務める杉浦正則さんが10月26日、日本医療企画本社(東京都中央区八丁堀3)に林諄社長(日本メディカルスポーツ協会代表理事)を表敬訪問しました。杉浦さんは、同協会が主催して来年末に開催予定の「東久邇宮杯争奪 第1回ジャパンメディカルリーグ(JМL)軟式野球大会」をはじめとする野球やスポーツについて、林社長と活発に意見交換しました。
この日訪れたのは、杉浦さんと東京中央総合支社銀座営業部の貫名歩・営業部長、首都圏法人営業第四部法人営業担当の伊藤澪さんの3人です。杉浦さんは最近のスポーツ界の問題点について「犠牲心があってこそ、スポーツは成り立ちますが、『自分が、自分が』という傾向が強くなり、チームとして成り立たなくなってきています」と指摘。団体スポーツの野球を通じて、チーム医療の成熟につなげることなどを目的としたJМL大会について「野球は失敗のスポーツ。勝つためには、誰かが(失敗を)カバーしなければなりません。確かに、そういう点は(医療にも)通じる部分では」などと述べ、開催意義に賛同する考えを示しました。
杉浦さんは同志社大から1991年、社会人野球の名門、日本生命に入社。本格右腕のエースとしてチームをけん引し、2度の都市対抗野球大会優勝(92年、97年)の原動力となり、大会最優秀選手に贈られる橋戸賞にも2回輝きました。この間、バルセロナ大会(92年)、アトランタ大会(96年)、シドニー大会(2000年)と3度の五輪に日本代表として出場。バルセロナの銅、アトランタの銀メダル獲得の立役者となり、シドニー五輪では選手団主将を務めました。
そのたぐいまれな才能からプロ野球界からも再三誘いを受けましたが、当時はプロ選手の出場が認められていなかった五輪で「金メダルを獲りたい」と固辞。五輪に挑戦し続けた敢闘精神をたたえ「ミスターアマ野球」と畏敬の念を持って呼ばれています。00年に現役引退後は日本生命の投手コーチ、監督を歴任。現在は社業のかたわら、NHK高校野球の解説者としてもおなじみです。
JМL大会は医療従事者を対象とした初の全国規模の野球大会で、「医療業界の甲子園」として注目を集めています。このほど、大会方式の見直しがあり、全国各8ブロックでの予選大会をなくし、11月中旬から12月の間の3日間、首都圏に全国の強豪24チームを集めて決勝大会を行う短期集中開催に改められ、病院の「実力日本一」を決める大会の位置付けが鮮明になりました。